なぜ知識が必要なのか?なぜ教養が必要なのか?
「なぜ勉強することが大切なのか?」が明らかになりました。
今日、打ち合わせ中にハッと思いついた質問を投げかけましたが、まだ頭の中でロジックが固まっておらず、上手い説明ができませんでした。
つまり、言いたいことの1、2割しか伝えられませんでした。
ただ、その人は、私の言いたいことを受け止め、求める回答を答えて来たのです。
「なぜ、この人は私の下手な説明を理解でき、回答できたのだろう?」
私は今までの社会人生活、10割説明できたつもりでも、理解して貰えないことが多く、自分の説明能力の下手さに悔いて来ました。
ただ、この1年、自分は組織を移った後、説明が上手くいかない時も、相手は平然と回答して来るのです。
「なぜ、この人たちは、本質を見抜くことができたのだろう?」
今日、私の下手な質問に回答した人は「教育のレベル」を意外と強く推す人です。
確かに、組織が変わり、周りの学歴は上がりました。
でも、「仕事と学歴は関係あるのか?」・・・。
自分は「関係ない」と感じていましたが、こういうコミニュケーションを繰り返すうちに、色々と分かって来ました。
「説明の1、2割を理解できれば、頭の中のバックグラウンドから、想像することができる。」
少なくとも、方向性だけでも理解はできます。
じゃあ、「このバックグラウンドとは何か?」
これは、明らかに勉強量です。
本を読み、知識を付け、ニュースを読み、流れを見る。
結局、基礎学力と世の中動向を理解することで、数少ないキーワードで答えを導き出すことができるのです。
勉強する人間としない人間では、コミュニケーションのレベルは、雲泥の差ということが分かりました。
「本を読む」「世の中の流れを掴む」ということがコミュニケーションの本質となります。
もっと勉強しなければなりません。